家を建てようと思い立ったきっかけは、保育所問題でした

奮闘記

これまで、家を建ててからの後悔についてお伝えしてきました。
今回からしばらくの間、視点を変えて、家を建てるまでの経緯についてお伝えしていきたいと思います。

土地探しから始まり、無事に完成するまで、色々調べたり、考えたり、悩んだりと、人並みに思考を巡らせてきました。
この経験が、皆様にとって何かしらのヒントになればと思います。

家づくりというと、綿密な計画に基づいて進めていくイメージを持たれる方も多いかもしれません。
しかし、実際に振り返ってみると、私の場合はいくつかの偶然と、家族それぞれの事情が重なり合って、家を建てるという決断にたどり着いています。

まず初回の今回は、そもそも私が家を建てようと思い立った、そのきっかけについてお伝えします。


借家での暮らしから、すべては始まった

家を建てるまで、私はアパート→一軒家の借家と移り住んできました。

借家の一軒家は、仕事の都合で他県に住むことになった知人が、地元に残していた一軒家をそのまま放置しておくのはよろしくないということで、「よかったら住む?」というありがたい申し入れを頂き、住まわせてもらっていたのです。

一軒家に住まわせてもらえるというのは、当時の私たち家族にとって、本当にありがたい話でした。

庭付きの一軒家で、子供たちがのびのびと過ごせる環境は、アパート暮らしのときには得られなかった安心感がありました。
このまま長くお世話になれたらいいなと、当時は漠然と考えていたことを覚えています。

まさかこの借家での暮らしが、後々、家を建てるきっかけの一つにつながっていくとは、当時は思いもよりませんでした。

保育所問題という、想定外の壁

子供が2歳と1歳になったとき、妻が働きに出ることになりました。

当然、子供たちを保育所に預ける必要が出てきます。
住んでいたA町の保育所に入れるべく、同じ町内にある3件の保育所に入所申請を行いました。

しかし、結果は予想もしていないものでした。
3件とも、入所不可となってしまったのです。

正確に言うと、1件は完全に入所不可、残り2件は「1人なら入所OK」という結果でした。
しかし、2人の子供を別々の保育所に入れるわけにもいきません。

当時待機児童問題がニュースでよく取り上げられたいましたが、私が住んでいるのは地方の田舎なので、都会のように保育所に入れないということはないだろうと、正直なところ高をくくっていました。
よもや、よもやの展開でした。

申請結果の通知を受け取ったときの、あの焦りは今でもよく覚えています。
共働きを目前に控えた中で、預け先が決まらないというのは、想像以上に不安の大きい出来事でした。

後から分かったことですが、先に兄弟が入所していれば、下の子も続けて入所できる可能性が高かったようです。
しかし、今回は子供2人をいっぺんに申し込んだため、それぞれの年齢の枠に空きがなかった、という事情がありました。

仕方なく、周辺の他の保育所を探すことになり、最終的に隣のB町にある保育所に、なんとか入所することができました。

隣町で無事入所できたこと自体は、本当に良かったと思っています。
ただ、場合によっては、まったく入所できなかったり、もっと遠くの保育所になってしまったりする可能性もあります。
これから保育所を探される方には、しっかり事前に調べることをおすすめしたいです。

時は流れ、家主からの一本の連絡

保育所問題を乗り越え、しばらく穏やかな日々が続きました。
子供たちも新しい保育所での生活に慣れ、送り迎えの生活リズムもようやく安定してきた頃でした。

そして、子供が小学校に上がる2年ほど前のことです。
借家の家主から、「地元に帰れそう」という連絡が入りました。

家主とは長らく会っていなかったので、帰ってくるのはとても嬉しいのですが、当然のことながらお借りしていた一軒家はお返ししなければなりません。
「それなら、ボチボチ家を建てようか」という話に、自然となっていきました。

賃貸やマンションという選択肢も、もちろん頭にはありました。
しかし、妻とはこの点について、珍しく意見がすんなりと一致し、最初から「新築で」ということになったのです。

さらに、もう一つ理由がありました。
当時、妻の勤務地とは逆方向に保育所があり、妻が毎日送り迎えをしてくれていました。
方向が逆ですので、保育所に送ったあとUターンして勤務地に無有買うという毎日でした。

保育所の開始時間と、妻の勤務開始時間には、あまり余裕がなく、毎日かなり慌ただしく過ごしていました。
こうした状況もあり、「早く新築したい」という妻からの強い希望も後押しとなりました。

子供の一言で、方針が大きく変わった

家を建てる決意が固まった当初、私は住んでいたA町で家を建てようと考えていました。

A町は、私自身が昔住んでいた馴染みのある土地で、「同じ小学校、同じ中学校に通わせるのも、悪くないんじゃないか」という、軽い気持ちがありました。

通っている保育所と校区は違うため、小学校に入学するタイミングで転校のような形にはなりますが、まだ小さいのですぐに順応するだろう、というくらいに考えていました。

ところが、いざ子供に話をしてみると、思いもよらない反応が返ってきました。

「友達と離れるのは嫌だ!」と、断固拒否されたのです。

さらには、「友達と一緒なら、違う小学校でもかまわない」という、なかなか大胆な提案までされる始末でした。

この一言をきっかけに、妻とも改めて話し合い、できるだけ子供の意向に沿える形で進めようという方針に変わりました。

子供の口から、これほどはっきりとした意思表示を聞いたのは、この時が初めてだったかもしれません。
普段は親の判断に素直に従うことが多かった子供が、これだけ強く意思を示したことに、正直驚きました。
それだけ、友達との関係が子供にとって大切なものだったのだと、改めて気づかされた出来事でもありました。

そもそも、A町でなければならない絶対的な理由があったわけではありません。
子供が悲しむ選択を、わざわざ大人の都合で選ぶ必要もないな、というのが方針を変えた一番の理由です。

そこから、子供たちが通っている保育所のあるB町で、土地探しが始めることになりました。

「思い立ったが吉日」で決めた、家づくりの始まり

家を建てようと思うきっかけや理由は、人それぞれ、本当にさまざまだと思います。

一般的には、一生に一度の大きな買い物になるからこそ、将来設計や家族の意見をしっかり聞きながら、慎重に検討していきましょう、という話になるはずです。

そう理屈では分かっていながらも、正直なところ、私自身は「思い立ったが吉日」くらいの勢いで、家を建てる決意を固めました。

保育所探しで想定外の苦労をしたこと、借家を明け渡す必要が出てきたこと、妻からの後押しがあったこと、そして子供の一言で方針が固まったこと。

これらの出来事が、偶然のように積み重なって、我が家の家づくりは始まりました。

計画的というよりは、目の前に訪れたタイミングの波に、うまく乗っていったという感覚に近いかもしれません。

勢いも、時には大事だと、今振り返っても思います。

これから家づくりを始める方も、完璧なタイミングや理由を待ちすぎず、目の前にある小さなきっかけを、大切にしてみてもよいのではないでしょうか。

振り返ってみると、保育所問題という想定外の出来事も、結果的には家族にとって大切な決断のきっかけになりました。 何が幸いするか分からないものだと、今になってしみじみと感じています。

次回からは、この土地探しの経緯について、詳しくお伝えしていきます。

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